enPiT雑感

enPiT雑感

はじめに

今回勝手にenPiT Advent Calendarを始めることになった。初日の12月1日には何を書こうか迷ったが、まずはenPiTのおおまかな説明とそれにかける思いを書いていこうと思う。

なお、11月は31日まであるので今日は12月1日である。決して遅刻投稿などはしていない。立派な成人として遅刻などするわけがない。当然である。

enPiTとは何か

enPiTは、文部科学省の企画による大学(院)生を対象とした事業である。お役所の文章によると、その目的

情報技術を高度に活用して社会の具体的な課題を解決できる人材の育成機能を強化するため、産学協働の実践教育ネットワークを形成し、課題解決型学習(PBL)などの実践的な教育を推進し広く全国に普及すること

らしい。さすがお役所、具体的に何が行われているのか1mmも理解できない名文だ。文部科学省に代わって、enPiTで何をやっているのかをこの後の文章で紹介していく。

なお、enPiTは4つの分野から構成されているが、この文章で触れるのは「enPiT BizSysD」と呼ばれる分野である。「enPiT」もさることながら、 「BizSysD」も意味が分からない。お上はenPiTを普及する気があるのだろうか?

筑波大学のenPiT

筑波大学の enPiT は、実体としては週に2回、1回2コマ分の計4コマ講義として開講されている。情報学群の共通科目として開講されており、科目としての分類は学類によって異なるが、僕が所属する情報科学類では主専攻実験(学類3年生が必修するプレ卒業研究のようなもの)として分類されている。

enPiTは講義と言っても学生が行儀良く黒板を向いて席に座り教員が教壇に立って指揮棒を持ち……という日本の大学の一般的な講義とは異なる。この講義では、学生は5人前後のチームを組み、チームごとに課題を設定して課題を解決するための作品を勝手に制作していく。これがenPiTである。

ここまで見れば、工学系・情報系の大学にありがちな、ただのチーム開発形式の実践講義であるかに見えるが、enPiTは異なる。そもそもただのチーム開発形式の講義であれば僕がわざわざこんな文章を書くわけがない。enPiTには僕に筆を執らせる魅力がある。

僕はこんなモノを作れます(ドヤ顔)が通用しない世界

先述のように、工学系・情報系の大学では、個人・チームに関わらず何らかのアプリケーションを開発するタイプの実践講義が広く開講されている。他大学の友人を見ても、2年生か3年生でそういった講義を1つ2つ受講するのは王道パターンらしい。しかしそういった開発系の実践講義は、往々にして「スゲェ技術を使って作った人が勝ち」というような空気が生まれがちだ。大学は学術機関であるから、それ自体は悪いことではないと思うが、優秀な大学生の頭を「スゲェ技術を使ったゴミ」を作るのに使うのは少々もったいないようにも感じる。せっかく作るのであるから、「スゲェ技術は使っていないかもしれないが、価値はあるモノ」を作りたい。

enPiTは後者の立場を取る。すなわち、「スゲェ技術は使っていないかもしれないが、価値はあるモノ」を作るにはどうすれば良いのかを考え、学んでいくのがenPiTである。このように書くと「大学とは知識・技術を身につける場であるから、スゲェ技術を使いこなせる実践講義のほうが良いのではないか」と思われる方もいるかもしれない。たしかに僕もそう思っていた時期があったし、そういう考えもありだろう。ただ僕は、技術は最終的には使われるためにあると思う。とすれば、技術そのものを学ぶことが大切である一方で、技術を上手く活用する術を学ぶのもまた大切なのではなかろうか。

圧倒的な技術を持っていたとしても、作っているものがゴミであれば言葉通り宝の持ち腐れだ。逆に、圧倒的な技術は無いにせよ、「こういったものを作りたい、こういったものには価値があるはずだ」という思考ができれば、それから必要な技術を身に着けても遅くはない。我々に必要なのは「技術をいかにして使うか」というスキルである。

enPiTは「技術を使う技術」を学ぶことができる貴重な場であると感じる。

アジャイルスクラム・その他イケイケ用語について

Twitterで新興の起業家のアカウントを見ると、必ずと言って良いほど「アジャイル」やら「スクラム」やら謎のイケイケ用語が出てくる。そんな謎のイケイケ用語に嫌悪感を示す人も少なく無いだろう。僕も2年前まではそのうちの一人だった。

enPiTでは、上述のように価値のある作品を作るためにはどうすれば良いかということを学ぶ。ここで使われる手法がアジャイルである。アジャイルは、簡単に言ってしまえば「短いスパンで開発とレビューを繰り返し、それによって常にそのとき考えうる最高に価値のあるものを作り続ける」という手法である(と、僕は認識している)。

筑波大学のenPiTでは、夏の短期集中講義(夏合宿と呼ばれている)や秋学期のメイン開発にアジャイルの考え方を導入している。夏合宿は毎日、秋開発は1週間に一度(2020年度は毎日)、作っている作品のレビューを行う。レビューは他のチームのメンバーや教員・メンターを相手に行い、どれだけ進捗が出なくてもどれだけチームが混沌としていても毎回必ず行われる。このレビューによって、作っている作品やチームそのものが否が応でも評価される。チームメンバーは毎授業で何かしらの評価を受け、それを踏まえて自分たちで作品やチームを考え直し、次の授業では改善案を導入して開発を行い、またレビューで叩かれる。これを繰り返すことによって、作品やチームは着実に成長していく。講義ではなく、体感としてアジャイルを学ぶことができるのがenPiTである。

本稿はアジャイルスクラムの紹介記事ではないので詳細は省くが、アジャイルと同じようにスクラムもまた自然とenPiTに取り入れられ、実体を持って活用されている。

アジャイルスクラムは数冊本を読んだところで理解できる代物ではない。そもそも、アジャイルスクラムはそれ自体が目的なのではなく、チームや製品(作品)を効率良く成長させるための手段に過ぎない。先の「スゲェ技術」の話とまったく同じである。enPiTを受講した学生は、Twitterの胡散臭い新興起業家が言う薄っぺらい「アジャイル」「スクラム」などではなく、もう一歩深い部分が見えた上で「アジャイル」「スクラム」を理解できる。これもまた、enPiTで得られる大きな学びの一つである。

へー。ジャンボ文字iitsukaだったわけですね。

これはenPiTの担当教員である川口先生の発言である。iitsukaは僕の同級生のenPiT受講生。enPiTの情報伝達はSlackを用いて行われる。「へー。ジャンボ文字iitsukaだったわけですね。」は趣深い発言であるということでSlackのemojiに登録され、事あるごとに活用されている。

前置きが長くなったが、このエピソードから何を言いたいかというと、教員とSlackで気軽にキャイキャイと話せ、発言を悪ノリでSlackのemoji化してもお咎め無しというレベルには打ち解けられるということだ。これはenPiTそのものではなく筑波大学のenPiTの歴代関係者が築いてきた文化・空気感の賜物なのだろうが、これほど学生と教員の距離が近い講義は極めて珍しいと思う。少なくとも僕はenPiT以上に距離が近い講義を知らない。

これまで述べてきたように、enPiTのメインの目的はより価値のある製品(作品)を作ることである。だが、複雑混沌としたこの世界で、何を作れば価値があるのかなどということは神にも分からない。神にも分からないのだから、教員や学生メンターが分からないのは当然である。教員や学生メンターができることは学生開発チームに対して感想を述べること、疑問を投げかけること、一緒に議論すること、その程度だ。一方的に「こういうものを作れば良い」などということは口が裂けても言えない。学生開発チームと相互にコミュニケーションを取ることは学習のキモ、生命線である。したがって、コミュニケーションのハードルの低さは学びの質の向上に直結する。

学生と教員のコミュニケーションが活発になると、自然と議論が生まれる。夏合宿が終わったあと、(2020年度はコロナの影響もあり)オンラインで打ち上げが実施された。一講義に打ち上げがあるという事自体がなかなかレアだが、その打ち上げが24時近くまで続き、しかも時間が深まるにつれて学生と外部講師との間で激アツな議論が交わされるようになるというのは貴重な環境であると言わざるを得ない。

enPiTの今後

他にも外部講師陣の圧倒的な豪華さや学生メンターの働きなどいろいな魅力を紹介したかったが、今回はこのあたりでおしまいにすることとする。

ところで、これだけ熱く書いてきたenPiTだが、enPiTは2020年度で事業が終了し2021年度以降はenPiTとしての講義は開講されない。目下、筑波大学においては、enPiT関係教員のご尽力により同じような内容の講義が開講される予定だという(そこそこ確実な)噂もあるが、何にせよenPiTの終了は経済面や規模の面から大きな損失である。

最後にポエムなことを書こう。自分の両親が僕ほどの年齢のころ、社会はもっと単純だった。良くも悪くも世間としての価値観が狭く、一例を出せば「男はこういうもの」「女はこういうもの」という今よりも圧倒的に固定された価値観があった。しかし現代に目を向けると、価値観は確実に大爆発を起こしている。何が価値のあるものであるか、その指標は混沌としていて、「こうしておけばOK」という軸は既に無いも同然である。そんな社会において価値のあるものを作っていく難易度は間違いなく上がっており、「価値とは何か」というあまりにもフワウワとしたことを考えるスキルは今後ますます必要になると確信している。

enPiTは「価値とは何か」に対する答えをくれる講義ではないが、「価値とは何か」を考えるきっかけと考え方のヒントを与えてくれる。それも、口先だけの感情が独り歩きした価値観ではなく、モノを作るということを通して実体を持った価値観を考えることができる。今後、enPiTという名前は無くなるが、同じところを目指す講義が維持されることを、一元受講生としては願ってやまない。