Node.jsでDenoの標準モジュールセットをlodash的に使うと便利かもしれない

DenoからNode.js向けのパッケージを使うという記事は山ほど見るが、Node.js(や、バンドラーを噛ませたブラウザー環境)からDeno向けのパッケージを使うという記事はあまり見かけないので書いておく。

うまく使うとそこそこ便利だと思う。

Denoの標準モジュールセット

Denoはコアチームによって監査されDenoで動くことが保証された標準モジュールセットを提供している

Denoでは、例えばこんな感じで標準モジュールセットを使うことができる。

import { copy } from "https://deno.land/std@0.94.0/fs/copy.ts";

copy("log.txt", "log-old.txt");

Denoの標準モジュールセットには比較的高レイヤーなツールも含まれている。例えば std/datetime には format という関数が含まれていて、Date型のオブジェクトを好みの形式の文字列に変換できる。Node.jsは標準ではこのような機能は持っていないため、自作するか、date-fnsmoment.js といったサードパーティ製のライブラリを使うことになる。Denoの標準モジュールセットからは、他にも csv や dotenv、オブジェクト比較の equal など、「まぁ自分で作ったりサードパーティのライブラリ入れたりしても良いんだけど、自分用のツールをサクッと作りたいだけなのに面倒だなぁ」的な機能が多数提供されていて、良い感じである。

Denoの標準モジュールセットはDenoの公式ドキュメント内のサンプルコードに必ずと言って良いほど出てくるので、Denoが生きている間は突然提供が停止される可能性は極めて低いだろうし、「コアチームによって監査」されているということなのでセキュリティリスクも高くは無いだろう。

しかも、Denoの標準モジュールセットのほとんどはNode.jsからも使えるようになっている(Deno独自の機能に依存しているものが少ない)。

JSR

話は変わって JSR。JSRはJavaScriptライブラリのレジストリ(JavaScript Registry)で、Denoが提供している。2024年3月1日にパブリックベータになったので、今では誰でも使うことができる。

JSRはnpmと連携して使うことができる。JSR自体はパッケージ管理システムではなく、単純な「公開パッケージ置き場」なので、npmに対して「@jsrから始まるパッケージはJSRから取りに行ってくださいね」的なことを教えてやれば、npmは素直にJSRからパッケージを取ってきてくれるようになる。さらに、この設定すらも自前で書く必要は無く、JSRが提供している jsr というパッケージを npm 経由で使うことで、ユーザーは何も考えずに JSR からパッケージを取得して npm の依存関係に追加することができる。

npx jsr add @luca/flag
# .npmrc に勝手に JSR の設定が追加される
# package.json や package-lock.json も npm install したときと同様に更新される

JSR と Denoの標準モジュールセット

JSRからは、Denoの標準モジュールセットも配信されている。

npx jsr add @std/datetime
import { format } from "@std/datetime";

const now = new Date();
console.log(format(now, "yyyy/MM/dd HH:mm:ss"));

これによって、「実行環境はNode.jsなんだけど、Denoの便利な標準モジュールセットを使いたいんだよなぁ」という欲求が満たされる。

これまで、Denoの標準モジュールセットのような「ちょっとした便利ツール」としては lodash や Radash、関数型プログラミングが好きな人には Ramda.js あたりが使われてきた。しかし lodash は2016年から開発が止まっているし、他のツールも安心安全とは言えない。

JSRの登場によってDenoの標準モジュールセットをあらゆる環境から使えるようになったので、この問題が現時点では解決したと言えるかもしれない。

DenoでFirebaes Admin Node.js SDKを動かす(一敗)

結論

  • おおむね正常に動作するように見える
  • カスタム認証周りは動作しないことがある

何をしたかったか

Denoもそろそろ成熟してきたと聞くので、適当に触ってみようと思った。せっかくなので Hello world 的な無味乾燥なものではなく何かWebサービスを作ることにした。Webサービスの認証を自前で作るのは面倒だしセキュリティリスクも抱え込むことになるので、そこはサクッとFirebase Authenticationに任せることにした。

今回はGitHubAPIを良い感じに呼び出してゴニョゴニョするサービスを作ることにしたので、OAuth部分はDenoで自前で書いてGitHubのアクセストークンを取得しつつ、セッション管理やユーザー管理はFirebase Authenticationのカスタム認証を用いてシュッとやる作戦。

何ができたか

Firebase Admin Node.js SDK の読み込み

Denoは1.28からnpmのライブラリをインポートできるようになっている。なので、次のように書けばFirebase Admin Node.js SDKをインポートして初期化することができる。

import { initializeApp } from "npm:firebase-admin/app";
import { getAuth } from "npm:firebase-admin/auth";

initializeApp();
const auth = getAuth();

初期化時点では何のエラーも出ず、無事に完了。試しに initializeApp() の返り値をログに出力してみたが、Node.jsで動かしたときと同じように、正常に初期化できているように見える。

カスタムトークンの生成

先述の通り、今回はFirebase Authenticationのカスタム認証を使いたいので、Denoでカスタムトークンを生成する必要がある。

const customToken = await auth.createCustomToken("GitHubから取得したユーザーのUID");

これも問題無くクリア。

何ができなかったか

IDトークンの検証

Firebase Authenticationのカスタム認証では、クライアント(ブラウザ側)で取得したIDトークンをサーバー(Deno側)に送り付け、サーバでFirebase Admin Node.js SDKを用いてそのIDトークンが適切なトークンかどうか検証する必要がある。

この検証は次のように行うことができる。

const decodedToken = await auth.verifyIdToken(token);

しかし、Denoではこの処理が失敗する。エラーメッセージは次の通り。

Firebase ID token has invalid signature. See https://firebase.google.com/docs/auth/admin/verify-id-tokens for details on how to retrieve an ID token.

IDトークンが不正、ということを言っているので、Node.js と Deno で時刻の扱いが違うのか(時刻が違うと iatexp に対する検証がブレるので不正扱いになることがある)と思ったが、何をどういじっても解決しない。

原因

デバッガを使って掘ってみたところ、単純にDenoがNode.jsの crypto.createPublicKey を実装していないことが原因と判明。そりゃ動かないわけだ。

Firebase Admin Node.js SDKjsonwebtoken に依存しており、 jsonwebtoken は verify.js で crypto.createPublicKey を呼び出している。

対策

Firebase Authentication のIDトークンの検証は、SDKを使わなくてもできることが公式ドキュメントに明記されている。DenoにもJWTをよしなに扱えるライブラリがあるので、これを使えば良いと思われる(が、これから試すのでシュッと動くかは不明)。

2023年を振り返る

1年は本当にあっという間です。2022年を振り返る - すだめブログ を書いてから1年経ったとは思えません。

1年前の振り返りには「2022年は変化が少ない年だったので2023年は変化に富む年になると良い」というような旨のことを書きましたが、まさにその言葉通り、2023年は変化に満ちた1年になりました。

仕事

就職

なんと言っても働き始めたことが最大の変化です。僕は2023年4月からChatwork株式会社でエンジニアとして働いています。

corp.chatwork.com

会社は本当に良い環境だなと毎日のように思っています。日常関わるどの社員も誠実に接してくれますし、悪い方向にクセの強い方はほとんどいません。給料にも(今のところ)満足な上に残業は毎月1桁時間で、大変ホワイトです。働く場所は自宅でも会社でもOKで、「今日は天気も良いし出社しよっかな~~~」でその日に出社できるようなルールになっています。気分屋な僕にはこれが大変嬉しく、なんだかんだで2週間に1回程度は出社しています。

チーム

今はWebフロントエンドプラットフォームチームというところに所属しています。下のスライドに詳しいですが、このチームの仕事は、各機能を専門的に開発するチームに対して開発の基盤を提供することです。チームの目的は、各機能チーム(フィーチャーチーム)に対して価値を提供することで、ユーザーに直接価値を提供することは(理想的には)管轄外です。

speakerdeck.com

ただ実際には、「どのフィーチャーチームの仕事でもない」仕事を担うような側面もあり、ユーザーの価値に直結するような仕事をすることもあって、チームのアイデンティティの確立に苦労しています。「Webフロントエンドの」プラットフォームチームというのは他社ではあまり見かけないチームで、社内での立ち位置も模索中なのが現状です。2024年の目標の一つは、チームの仕事や目的を言語化し、立ち位置を明確にして他のチームから上手く使ってもらえるチームにすることです。

スクラムマスター

配属当初からチームは「スクラムっぽい」体制でしたが、スクラムマスターは配置していませんでした。日々の仕事をこなすにつれて「このチームにはスクラムマスター的なポジションの人間がいた方が良いのでは…?」と思うようになり、思い立った人が手を動かせということで、今は僕がエンジニア兼任のスクラムマスターとして仕事をしています。

スクラムマスターとしては特にバックログの整備に力を入れました。プロダクトオーナーの壁打ち相手としてチームの方向付けをざっくばらんに議論し、それに基づいてバックログを書き起こす作業を毎週決まった時間に行いました。それまでは長大なタスクリストになっていたバックログを、少しチームの道筋を示すようなものに変えることができたと思っています。ただ、バックログ整備はまだまだ道半ばです。先にも述べたように僕が所属するチームはユーザーに価値提供を行うチームではなく、社内向けの基盤を整備するチームです。バックログが微妙にしっくりこないのは、チームが明確に何か1つのものを開発するようなチームではないことや、そもそもチームの実際の役割が不明瞭なことが大きな要因だと思っています。フレームワークの選択としてのスクラムや、バックログによる将来図の描き方が適切なのかも2023年に答えを出すことはできませんでした。

スクラムマスターとしての2024年の目標は、このあたりに折り合いを付け、何らかの答えを見出すことです。来年の振り返り記事では「スクラムやっぱりやめました」みたいなことを書いていても不思議ではありません。途中経過でもなんでも、アウトプットできると良いなと思っています。

元アルバイト

大学2年生からずっと続けていた小学生にプログラミングを教えるアルバイトも3月で卒業でした。

アルバイト先では半期ごとに総会が開かれ、その際には優秀なアルバイトが表彰されます。嬉しいことに、卒業直前の3月の総会で最優秀賞を受賞することができました。めでたし。

いただいたトロフィーは帽子掛けとして大活躍です(不敬)

研究

既にすっかり過去な気分ですが、3月までは学生でした。1月にはコロナ禍で学生時代に1回も行けていなかった学会出張に行かせてもらい、修士論文も無事に提出できて、満足の卒業・修士号獲得となりました。

またつい先日には、修士論文を発展させた論文が初めて国際ジャーナルに掲載されました。

doi.org

ただこの論文、第一著者は僕になっているものの、指導教官の岡先生はもちろんのこと、第2-4著者の皆さんの尽力が非常に大きく、第一著者に僕の名前があるのが厚かましいと思ってしまうほどです。本当にありがたい限りです。何はともあれ、国際ジャーナル掲載は大学院時代の一つのマイルストーンのような気がしており、最後の最後に達成することができてとても嬉しいです。

直近5年間はまず無いと思いますが、学問への憧れは未だに持っているので、将来何か腰を据えて調べたいことが出てきた際には研究に戻る道も捨てずにおきたいと思っています。

プライベート

引っ越し

大学1年から6年間住んだつくばを離れ、東京都葛飾区に引っ越しました。つくば時代はそもそも収納が少なかったこともあり部屋がカオスを極めていましたが、今の部屋はキレイにすることを心がけており、引っ越しから10ヶ月ほど経った今も、突然来客があっても笑顔で招き入れられるレベルを保っています。

東京暮らしの良いところは、ちょっと鉄道に乗ればどこへでも行けてしまうことです。博物館に行くも良し、海や川や山を眺めに行くも良し、知らない駅で降りて意味もなくお散歩するのも良しです。特に巨大な本屋に毎週のように通えるのが心底嬉しく、暇さえあれば丸の内の丸善に出かけています。また、これまでの人生では博物館なんて見向きもしなかったのですが、調べてみると俗っぽい僕でも面白そうと思えるような企画展は案外にやっており、時々出向いています。なるほどこれが東京の文化レベルの高さか、とつくづく思わされる2023年でした。

決して自慢できるような量ではありませんが、2023年は比較的たくさん本を読みました。先にも触れたように大きな書店に気軽に通うことができるので、読んでみたい本が山ほど出てくるのです。

本を買うとなると気になるのが予算管理ですが、これにはB/43というチャージ式プリペイドカードを活用しています。毎月一定額を自動チャージするようにしていて、これを使い切るまでは本を買って良い・むしろ買うべしということにしています。最近は額を増額した上で「文化費」として使っており、応援したいイラストレーターへの投げ銭や音楽ストリーミングサービスのサブスク費用もここから出すようにしています。

b43.jp

良かった本

2023年に読んで、今パッと思いついた本を紹介。

少年と犬 / 馳星周

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2020年直木賞の本で、文庫版が出たので読みました。そもそも僕は犬猫が大好きなのですが、その中でも人間に媚びず自立した彼ら・彼女らが大好きなので、大変好ましい本でした。1冊選べと言われたらこれです。

読書について・幸福について / ショーペンハウアー

honto.jp

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ショーペンハウアーは初めて読みました。2冊とも文章のキレ味がすごくて、すっかりお気に入りになりました。良く言えばシニカルで現実的、悪く言えば逆張り的な主張が多いのも僕の性格にピッタリでした。特に「読書について」は、最近世で良く言われる「とにかくインプットだ!!!」みたいな主張に疲れたときに読むと良いです。古典なので、時々いまの社会の価値観では受け入れられないような記述もあるのはご愛嬌です。

アジャイルな見積もりと計画づくり / Mike Cohn

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これは以前から繰り返し読んでいる本です。学生時代の実習を受けているとき、実習のTAをやっているとき、会社に入ってチームで仕事をしているときと様々な場面で読んでいますが、毎回気づきがあって面白い本です。そのまま受け入れるのも良いですが、#NoEstiamtes ムーブメントあたりの文脈を組み合わせて読むとまた深みが増すな、というのが最近の気づきです。

人間関係

彼女ができました。ハッピーです。大変に素敵な人で、僕にはもったいないなぁ、と毎日思っています。完全に運というか、予想外な出会いだったので、今でも「本当か…?」と頬をつねっています。人生たまにはツキが来るものですね。

人間関係、特に恋愛関係はいつ終わりが来るか全く予想できないものです。ただ、つまらないことで嫌われてしまったり嫌いになったりしないよう、少なくとも誠実であり続けたいと思っています。

2024年に向けて

ということで、2023年は仕事も住環境も人間関係も何もかも変化した年でした。2024年はこれら全てを継続・発展させる年になると思います。何か新しいことを次から次へと始めるのではなく、よそ見をせずに目の前のことに集中することが求められそうな予感がしています。

集中してものごとに取り組む過程で何か知見がまとまったら随時アウトプットするようにもしたいです。2023年はほとんど何もアウトプットできなかったという反省もあります。

ということで、2024年の個人テーマは「集中」、サブテーマは「アウトプット」にします。来年も良い一年になりますように。良いお年を!

2022年を振り返る

早いもので2022年も残すところあと数時間となりました。歳を取るごとに1年が過ぎるのが早くなっているように感じます。

2022年は全体的に2021年から継続するような部分が多く、良くも悪くも保守的な1年になったなと思います。2021年から続けてきたことたちはそれなりに成果が出たり悪くない形で後進に引き継いだりすることができました。一方で、お前は2022年何か新しいことをしたのかと問われるとなかなか困ってしまう、そんな年でした。

研究

2022年は修士2年生として、修士1年生の頃のテーマで引き続き研究していました。いろいろと端折って説明すれば、SNS上の人々の活動をなるべく簡単かつ説明可能なモデルで再現してやろう、というような研究です。2022年は研究についてはかなり結果が残せた1年でした。

特に論文・レポートの発表という面では身に余る成果を出せました。研究室が毎年論文を出している国際学会 ALIFE に加えて、 IEEE SSCIAROB という会議にも論文を出すことができました。また国内の 人工生命研究会 には大変懇意(?)にしていただき、様々なフィードバックをいただくことができました。論文・レポートは合わせて8本出たことになります。自分でもなかなか頑張ったんじゃないかと思っています。

研究テーマの深掘りもそれなりにでき、色々なサブテーマを生み出すことができました。学類4年生は僕が作ったモデルに基づいて卒論に取り組んでくれていますし、来年からは留学生までやって来てモデルを触ってくれるという話もあるようです。ある意味研究室を代表する研究テーマに育ってくれたのかと思うと、ありがたい限りです。

ただ、論文・レポートの発表にしろ研究テーマの深掘りにしろ、指導教員である岡先生の多大なるお力添えがあってこその成果であることは間違いありません。極端に言ってしまえば、「先生に振り落とされないように着いていったら、気がついたら何かかなり良い感じに成果が出てました」というほうが適切かもしれません。感謝感謝です。

プロダクト開発

2022年は研究に費やした時間が多かったこともあり、自分で何か意味のあるものを生み出すことはできませんでした。

受注開発は1本だけこなすことができました。詳細は契約上秘密なので詳しくは書けませんが、多くのご家庭で眠っているある機器とスマートフォンを連携させて便利に使えるようにするような製品です。スマートフォンアプリ単体やWebアプリ単体の開発は普段から(というほどでもありませんが)やっていますが、機器間連携の開発はノウハウがほとんどなくて苦労しました。自分の手元では問題なく動くのに先方の手元でデモを行うと急に動作が不安定になるという「あるある」も引き当て、夏休みの間はクソ暑い太陽の下でキモをキンキンに冷やす日々でした。この案件は苦労もありましたが報酬も大きく、いつになく財布が潤いました。

アルバイト

2018年の頭から続けている小学生にプログラムを教えるアルバイトを2022年も継続して行いました。11月までは2021年から引き続き、教室のトップで運営を統括するような役職に就いて働きました。

僕が就いていた役職は直接小学生にプログラムを教えることは少なく、「あの先生の特徴はああだからあんなアドバイスをしたら良さそうだ」とか「最近生徒がこんな感じだからこういう施策を打ったらどうか」とか「教室で使ってる備品の使い方はこうすると良いんじゃないか」とかそういうことを考えたり実行したりする仕事です。立場としては社員と他のアルバイトの中間に位置します。良く言えば自分で企画したり提案したりした仕事を実行できる役職で、悪く言えば便利屋+中間管理職です。

最初は前者の企画・提案・実行の部分に魅力を感じて楽しくやっていましたが、2022年の後半になってくると後者の便利屋+中間管理職の部分に目が行きがちになっていました。アルバイト自体の任期が2023年3月までということもあり、11月に引退することができたのですが、結果的に良かったと思っています。

12月の1ヶ月はヒラのアルバイトに戻り、小学生にゴリゴリ接するようになりました。楽しかったです。

プライベート

2022年は友達が減った1年でした。と言っても別に喧嘩をして絶交したという話ではなく、研究中心の生活で友達が増えなかった結果、自然減してしまったという話です。友達が減って何か困ったことがあるわけでも無いのですが、やはりふとした瞬間に少し寂しいなと思うこともあります。もう少し人間関係に気を遣うべきだったなというのは2022年の大きな反省点です。

一人での活動としては、2022年は2回旅行に行くことができました。どちらも大移動系旅行で、春には西へ、秋には北へ行きました。春の旅行は大阪・兵庫・岡山・香川・広島・山口・福岡・島根・鳥取と周り、秋の旅行は秋田・青森・盛岡・宮城を周ることができました。一人旅は強制的に日常のいろいろなことを忘れることができるのと、他の人を気にせず行き先を決めることができるのでとても気に入っています。旅先で己の居酒屋選択眼を鍛えるのも楽しいです。

ところで、僕は2022年9月に25歳になりました。僕はどうやら心の奥底で30歳に大きなプレッシャーを感じているらしく、ことあるごとに「俺もう四捨五入したら30歳か…」と思う1年でした。早く中身が大人になると良いのですが。

2023年に向けて

2023年3月には小学1年生から小学・中学・高校・浪人・大学・大学院と19年間続いた学校生活に終わりを迎え、4月からは Chatwork株式会社 で働くことになります。また就職に伴って、6年間過ごしたつくばの地も離れることになります。間違いなく2023年は大きな人生の節目になりそうです。

冒頭にも書きましたが、2022年は保守的な1年でした。2023年は強制的に環境が変わる年なので、2022年よりも圧倒的に挑戦的な年にしたいと思っています。内に閉じこもらず、面倒くさがらず、恥ずかしがらず、活発に過ごせる1年になれば良いと思っています。

結びに、なかなか厳しい情勢ですが、2023年は世界が平和になることを心より願っています。せめて自分や自分の大切な人の周りだけでも穏やかな空気が流れますように。 それでは皆様良いお年を!

2022年春の現実逃避旅行 四日目・五日目 (最終回)

秋学期の授業をこなし、3月頭締め切りの論文をどうにか提出し、卒業後の進路選択も大詰めという、なかなかにストレスフルな日々から現実逃避すべく、一人で関西方面大回りを演じている。せっかくなので旅行記を書いてみる。

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旅行から10日ほど経ってしまったが、残りの旅行記を書き上げないと気持ち悪くていつまでも次の投稿ができないのでエイヤと書くことにする。

萩 → 出雲市

朝早くに宿を出ようと思っていたが、布団が気持ち良すぎて起きられなかったため8時半ほどに出発。前日同様、ひたすらに山陰本線を北上する。相変わらず車両はキハ40。路線の乗りつぶし的な旅をすると車両があまり変わらないのが少々退屈である。

萩:宿の景色。昨日は暗くて分からなかったが景色の良い部屋だった

途中の益田駅で乗り換える。益田駅山陰本線の乗り換えポイントとして知られた駅なので大きい駅だと思っていたが、それほどでも無かった。山陰らしい(というと大変失礼だが)質素な駅舎とどことなく物寂しい空気感が印象的である。駅の外に案内板があったので眺めてみたところ「レジャー」の項にパチンコ屋が一軒だけ掲載されていた。山も海も豊かなんだからもう少し何かこう、もうちょっとあるだろう、と思わないでもない。

益田駅:パチンコが唯一のオアシス

益田駅からも山陰本線であるが、ホームで待っていたらド派手な車両がやってきたので驚いた。調べてみると「石見神楽列車」と言うらしく、島根県JR西日本がコラボしてラッピング列車を走らせているとのことだった。昼間に見たのでまだ良いが、夜にいきなり見させられたらチビるんじゃないかと思う。

益田駅:デコデコの石見神楽列車

益田から出雲市の間も景色がとても良かった。前日ほど晴れ渡ってはいなかったのが残念であるが、少し雲が垂れているくらいが日本海には似合う気もする。

youtu.be

出雲市

お昼過ぎに出雲市駅に到着。昼食を選ぶのが面倒だったので駅舎内にあるラーメン屋に入ったところ、美味くもなく不味くもないのに値段はシッカリという絶妙な具合のハズレチョイスだった。旅先ではちゃんとご飯を選ぼうと猛省。

出雲市に来たからには出雲大社に行かねばということで、一畑電車に乗り込む。車内が少しおしゃれだったが、何かキレ散らかしている地元客がおり普通に危険なので写真は撮れなかった。どんな街にも森羅万象にキレるシヴァ神みたいなオッサンは存在するんだなとしみじみと思った。

出雲市駅:一畑電車(ばたでん)、かわいい

「出雲には出雲大社があるから」くらいのノリで出雲大社に乗り込んだが、後からGoogle先生に聞いたところ出雲大社は「縁結びの神・福の神として名高い」らしい。おかげで初日の倉敷同様、大通りはおしゃれなカップルや女性グループで賑わっており、神社と聞いて想像していたのとは少し違う雰囲気にやや戸惑う。ただ、境内に入ってしまえば出雲大社の荘厳な雰囲気の圧の方が圧倒的に強く、浮ついた雰囲気は消え去った。

出雲大社:広すぎる

出雲大社:広すぎる(2回連続2回目)

大きな本殿にも感心したが、それ以上に、敷地内の文字通り至るところに社(やしろ)があるのがとても面白かった。せっかくの出雲大社だしということで律儀に賽銭をして回ったところ、後半は小銭が尽きてしまったほどである。社の数以上に多かったのは散水栓である。毎年「出雲大社で防災訓練が行われました」というニュースが風物詩的に流れるが、たしかにこの木材だらけの神社に火が付いたら一瞬で燃え広がってしまうだろうなと思う。

出雲大社出雲大社は2礼4拍1礼らしいですね

出雲大社:ニュースで年に1回は見る放水銃

時間があったので、駅とは反対方向に歩いてみる。途中の案内板を見たところ旧大社駅の駅舎が非常に立派だということなので見に行くことにする。しばらく歩くと道の途中に巨大な鳥居が出没した。片足に足場が組まれていてとてもかっこいい。

出雲市:カッケェ

出雲市:工事が終わるとこの撮影ポイントは道のど真ん中になるので真正面から撮れるのは今だけ

さらに倍ほど歩くと、巨大な体育館が見えてきた。大社から伸びるメインストリート沿いとは言え、それほど大きな街でも無いのにこんなに大きな体育館があるんだなぁ、と感心して足を伸ばしてみたところ、なんとそれは僕が目指して歩いてきた旧大社駅だった。工事中だったのだ。さらに不運なことにちょうど僕が到着したタイミングで旧大社駅の隣の家の誰かが倒れたとか何とかで救急車が来てちょっとした騒ぎになっており、国鉄時代の荘厳な駅舎を味わうことは物理的にも精神的にもできなかった。思い返してみれば、実家のメンバーは旅先の目的地で工事に出くわす確率が異様に高いような気がする。先祖が何か良くないことをやらかしているに違いない。

出雲市:巨大な体育館に見える旧大社駅(悲しい)

出雲市デゴイチくんは見れた

時間になったので一畑電車に乗って出雲市駅に帰る。この日の目玉、サンライズ出雲に乗るべく準備を済ませにかかる。が、夕飯用に買おうと思っていた駅弁が全てすでに売り切れていた。かなり時間に余裕を持って出雲市駅に帰ってきたつもりなのに、何ということだ!慌ててGoogleマップ弁当屋を探し、駅から徒歩15分ほどの場所に良さげな店を見つける。いろいろな食べ物が少しずつ入った詰め合わせ弁当を購入し、駅へ戻る。

サンライズ出雲の出発時刻は18時53分であるが、スケジュール構築激下手人間であるところのわたくし須田は、あろうことか、18時半から30分間、オンラインミーティングを入れてしまった。僕が主要メンバーである集まりなので一人抜けるわけにもいかず、サンライズの入線をホームで待ちながらスマホでミーティングに参加する。たぶん今後の人生も一生こんな感じでテンパって過ごすんだろうな、などと思う。

出雲市駅:オンラインミーティングしながら必死で入線を撮影

出雲市 → 東京

無理やりミーティングを終わらせて無事にサンライズ出雲に乗車。初めての寝台列車なこともありテンションがバカみたいに高まる。部屋は「シングル」の一階にした。乗ってみると前評判通り案外広い。二階建て車両なので天井がもっと低いと思っていたが、170cm弱の僕ならぎりぎり立てるくらいには空間があった。乗車してすぐシャワーカードを購入。出発から20分ほど後にはすでに売り切れていたので、やはり真っ先に購入するのが正解らしい。

サンライズ出雲:シングル一階部屋。広い!

部屋に戻り、しばらくの間、布団にスリスリしたり電気を付けたり消したり立ったり座ったり寝っ転がったり窓の外を見たり廊下に出たりスマホを充電したりカップホルダーにカップを入れたり出したりする。15分ほどしてさすがに満足してテンションも落ち着いてきたので購入した弁当を持ってラウンジカーへ行く。

弁当に合わせてビール「しまねっこえーる」と日本酒「豊の秋」を購入していたので、旅が終わる寂しさを紛らわせるためにせっせと飲む。弁当のチョイスは最高で、ビールにも日本酒にも合うおかずばかりだった。ラウンジカーには僕の他に乗り鉄のお兄さん(うっかりオジサンと声を掛けてショックを与えてしまった)と、大学生と大学教員のグループがいた。乗り鉄のお兄さんが非常に気さくで、しばらく歓談する。久々に人間とまともな会話をした気がする(といっても4日ぶりだが)。大学生と大学教員のグループはゼミのようなグループらしく、尋常ではないほどにぎやかだった。お話の上手いお兄さん数名と狂人の匂いがする先生で構成されており、非常に楽しそうだった。彼らとも少し話をする。長居するのも悪いかなと思い、ご飯とお酒が空いたところで退散。

サンライズ出雲:最高の弁当(フタくらい開けて写真を撮れよ)

部屋に戻ってしばらくのんびりしていたところ、お酒を一気に飲みすぎたことと、生活の全てが良く揺れる列車の上であることとのダブルパンチで、車酔いになってしまった。乗車前は何なら一晩中起きていようとも思っていたが、素直に寝ることにする。寝る前にシャワー。ちょうど本州を横断する山がちな区間を走っているタイミングでシャワー室に入ってしまったのでめちゃくちゃに揺れ、苦労した。ただ、揺れ以外は列車に乗っているとは思えないような設備で、いちいち感動した。

部屋に戻って布団に入ったらすぐに寝落ちた。岡山に着いたところはなんとなく記憶にあるが、結局サンライズ瀬戸との連結作業を見に行くことも無く爆睡してしまった。……のだが、なんと我が地元浜松に着いた瞬間に目が覚めた。しかも部屋の目の前に駅名標があるベストポジション。僕は浜松に愛されているのだなぁと謎に感動する。

サンライズ出雲:はままつ(午前3:43)

その後はまたぐっすりと眠り、次に目が覚めたのは横浜付近だった。ベストな目覚め。普段旅客列車は通らない横浜の貨物線を通過しているところをじっくりと味わいながら、東京駅に到着。ホームに並ぶスーツ姿の人たちを横目に下車。優越感が心地よい。

東京駅:ギリギリまだ旅行気分

ここまで来てしまえばあとは消化試合である。秋葉原まで山手線で移動し、つくばエクスプレスつくば駅に戻る。見覚えしかないつくば駅の階段を見て、一気に現実に引き戻された。明日からはまた日常である。

つくば駅:現実世界への階段

おわり

2022年春の現実逃避旅行 三日目

秋学期の授業をこなし、3月頭締め切りの論文をどうにか提出し、卒業後の進路選択も大詰めという、なかなかにストレスフルな日々から現実逃避すべく、一人で関西方面大回りを演じている。せっかくなので旅行記を書いてみる。

sudame.hatenablog.com

sudame.hatenablog.com

博多 → 小倉

三日目は8時前にホテルを出発。本来乗らなければいけない列車の数本前の列車に乗車する。前日の逆ルート、鹿児島本線の快速を使って小倉へ向かう。

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博多駅:相変わらずかわいい車両

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817系車内:JR東日本や東海では絶対見ないオシャデザイン

そのまま下関に向かっても良かったが、前日に下関では既に下車して時間を使っていたので、この日は小倉で小休止することとする。小倉駅の改札を出て初めて知ったが、小倉にはモノレールが走っている。駅の建物に突っ込むようにしてレールが整備されており、なかなか見応えがある構造である。小倉城を目指して歩き始めたものの、地図を見ると歩いて戻ってくるにはやや時間が足りないようなので断念。朝食としてパン屋でマヨコーンパンとメロンパンを購入。コーヒーも買おうと思ったが店員が慌ただしそうだったので遠慮する。

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小倉駅北九州モノレールが構内をブチ抜いている

小倉 → 小串

前日同様415系関門海峡を通過する。前日ですら感じなかった海峡通過の感動をさらに感じなくなった。小倉で時間調整をした影響で下関では乗り継ぎ待ちも無くスムーズに乗り換え。

下関からは山陰本線をひたすら東へ上っていく。山陰本線は初めて乗るのでとても楽しみである。車両はキハ40系。僕が暮らした三島・浜松・つくばはいずれも電車の地域だったので、気動車は物珍しい。渋いオレンジ色が良い雰囲気である。周りの乗客には地元客に加えて僕のような旅行客のような人もチラホラ見られる。山陰本線は景色も良いので鉄道ファンでなくても楽しめるのかもしれない。

山陰本線はのダイヤは良く分からない駅で乗り継がなければいけない構成になっている。僕が乗った列車も例外ではなく、小串駅という何も無い駅で乗り継ぐ必要がある。

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小串駅:美しい!

小串

事前にGoogleマップで調べて駅周辺は何もなさそうだと思っていたが、到着してみたら何とビックリ、何もなかった。まぁ住宅街の中の鉄道駅なんてそんなものである。

だがしかし、小串駅も捨てたものではない。最悪の場合は駅のホームでぼんやり座って待つしか無いな、などと思いながら散策に出たところ、ものの1分で最高の海岸にたどり着いてしまった。日本海らしからぬ穏やかな波、透き通った海水、良い雰囲気に湾状になった地形、ザ・日本海なゴツゴツした岩の海岸、青空、気温、どれを取っても最高である。階段が整備されており水辺まで近寄ることもできる。一時間強の待ち時間、この階段に座って本を読んでいたが、この旅行屈指の気持ち良い時間だった。これのためにわざわざ小串に来るかと問われれば残念ながら答えはNOだが、旅の間の1時間をこの景色を眺めて過ごせることは非常に幸福なことである。ローカル線の残念ダイヤも捨てたものではない。

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小串:ド綺麗

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小串:読書中の視界

小串 → 長門

小串から長門はまたキハ40に乗ってドコドコと進んでいく。この区間山陰本線は海沿いを走っており、景色が尋常で無く良い。どの程度景色が良いかと言うと、隣のボックスシートストロングゼロを飲んでいる知らないオッサンに何か情緒的な味わい深さを感じてしまうほどには景色が良い。途中の駅から制服姿の女子高生が乗ってきてぼんやり景色を眺めていた。気動車・良い景色・アンニュイな女子高生という三点セットはこのまま写真に撮ってTwitterに上げたら2万RTくらい付くのではないかと思えるほど絵になる。が、ボサボサ髪黒縁メガネクソデカリュック全身ユニクロ人間の僕がニマニマしながら女子高生の写真を撮ったりしたら旅行どころか人生が終わってしまう。僕が一眼レフが似合うクールなお姉さんに生まれていたら写真を撮れたかもしれない。来世に期待である。

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小串→長門:延々と最高な景色が続く

長門

小串に引き続き、長門でも乗り継ぎで1時間以上待つ必要がある。ちょうどお昼時なので、街をぶらついてお昼ごはんを物色する。長門は市であり、街は比較的充実している。駅の長門市紹介掲示を見たところ焼き鳥が名物らしいが、昼から焼き鳥にビールをキメてしまうとその後の旅程に不安が残る。名物を食べることは諦め、駅近くの食堂で日替わり定食を頼む。600円で鶏南蛮を食べられたので大満足である(タルタルソースが異常に多かったが)。

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長門:タルタルソース定食

長門 → 萩

お腹を満たしたら三日目の目的地萩へ。3連続でキハ40。旅行客っぽい人の多くがワンマン列車の乗り方に慣れていないらしく、降車に時間がかかっている。たしかに戸惑う部分も多いよなと思う。でも地元客っぽい乗客も特に不満顔もせず過ごしていた。優しい。

萩、と言っても実際には萩駅の隣、東萩駅で下車する。萩に来たら行きたかった松陰神社の最寄りは萩駅ではなく東萩駅なのだ。萩をどう散策すると良いのか事前に調べてもピンと来なかったので観光案内所に駆け込む。親切な所員さんから徒歩で回るくらいなら自転車を借りると良いと教えてもらう。そのまま駅隣のレンタサイクル屋へ行く。

レンタサイクル屋の名前は「スマイルサイクル」。名前や住所、連絡先を用紙に書き込んで受付に渡したらすぐに自転車を用意してくれた。が、出てきた自転車は空気の入りが微妙、左ブレーキは強く握ると戻らない、カゴも不安定で外れかけているというどう考えてもスマイルではない代物。自転車の整備は悪いが店員さんの人柄は大変に良く、満面のスマイルで自転車を渡してくる。自転車の劣悪さにはさすがに文句の一つも言いたいところだが、小心者の僕は店員さんのスマイルに押されてスマイルで受け取った。左ブレーキを強く握らないよう細心の注意を払って出発する。スマイルがあれば整備不良の自転車でも商売ができることを学ぶ。

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萩:スマイル号

スマイル号にまたがり、まずは松陰神社を目指す。松陰神社吉田松陰が指導者を務めた松下村塾があった場所に立てられた神社である。松蔭神社の敷地内には松下村塾の建物や吉田松陰の実家である杉家の建物が現存している。ここまでの道中で吉田松陰高杉晋作が主人公の小説「世に棲む日日」を読んでいた僕は松下村塾の現物を見てかなり感動してしまった。この部屋のこの畳の上で高杉晋作久坂玄瑞伊藤博文も議論していたのだなぁと思うと感慨深いものがある。司馬遼太郎の著作は小説であるから、もちろん作り話の部分も多い。しかしその作り込みは詳細で、例えば高杉晋作が初めて吉田松陰に面会したとき、吉田松陰が部屋に居ると知らずに縁側にどっかりと座ってしまったという描写がある。この描写は十中八九司馬遼太郎の創作であろうが、実際に杉家の吉田松陰の部屋は窓に面していて縁側もあり、人々が繰り返し座ってできたのであろう擦り切れもあった。事実であるか否かというのを脇に置くとしても、「たしかに、ここに高杉晋作が礼をわきまえずにどっかりと座ってしまったのかもしれないなぁ」などと考えるのはとても楽しかった。

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萩:松下村塾

松蔭神社を後にして、次は吉田松陰の墓に向かう。整備が甘いスマイル号にはかなり無理がある急坂をなんとか登りきり、墓所にたどり着く。この墓所には吉田松陰の墓だけでなく、松下村塾の門下生である久坂玄瑞高杉晋作や、松蔭の親族や師匠である杉百合之助玉木文之進の墓もある。長州幕末志士贅沢盛り合わせな墓地である。賽銭を入れると線香を上げられるシステムになっていたので、握っていた小銭よりひとつ高価な小銭を供えて焼香する。

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萩:松蔭の墓

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萩:スマイル号には無茶な急坂

左ブレーキ(後輪ブレーキ)の動きが悪いという文字通り致命的な自転車をどうにか操って急坂を下る。まだ時間があるので、萩城下町方面に向かう。城下町は世界遺産に登録されている割には大したことは無かった。一通り回ってみようということで高杉晋作像を眺め、彼の生家の前を通り、城下を一周してみる。少し行った先に明倫館があるので、そちらも寄った。いずれも17時以降の訪問だったので施設は開いておらず、外から眺めるだけとなってしまったのは少々残念である。ただ、最高の天気に武家屋敷特有の白い塀が良く映えており、綺麗なことには綺麗だった。

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萩:高杉のアニキ

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萩:武家屋敷と八朔と青空のコントラストが良い

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明倫館:おばさんに「閉まっちゃったわよー」と言われた

夕飯は萩中心部の居酒屋に行く。入店時にすでにほぼ満席。見蘭牛のモツ煮、地魚のフリット、酒の肴3点盛りを順に頼む。どれも非常に美味しくて大満足。これでこの旅行での居酒屋は最後であるが、居酒屋選択のセンスが光る旅になったなと我ながら思う。

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萩:見蘭牛のモツ煮。これとうどんだけで満足できるが僕は強欲なので食べ続ける

山陰本線の最終列車に乗って1駅移動し、宿に向かう。この日の宿はビジネスホテルではなく、観光温泉旅館。おじいさまやおばあさまが使うような観光温泉旅館が、コロナの影響なのか何なのか素泊まりで格安プランを組んでいるのを見逃さなかったのである。いわゆる観光温泉旅館には物心が付いてから初めて泊まったが、なんだか不思議な雰囲気でとても面白かった。「日本海の岩をそのまま使っています!」という風呂はなぜか水族館のイルカの水槽の匂いがした。マッサージチェアが無料だったのでこれでもかと使い倒してから就寝。

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越ケ浜駅:宿の最寄り駅。何もない!

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越ヶ浜駅:松陰先生も森羅万象に嘆かれて多忙である

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萩:無駄に広い

読んだ本

司馬遼太郎「世に棲む日日」

www.books.or.jp

世に棲む日日は吉田松陰高杉晋作の生涯を描く小説。全4巻。この日は萩に着くまでの道中で読み進め、2巻の途中、安政の大獄あたりまで読んだ。吉田松陰安政の大獄で処刑されるわけで、そこが彼の人生のいわばクライマックスであるが、ここを読んでいるタイミングで萩にたどり着いたのは良いタイミングだったようにも思える。

2022年春の現実逃避旅行 二日目

秋学期の授業をこなし、3月頭締め切りの論文をどうにか提出し、卒業後の進路選択も大詰めという、なかなかにストレスフルな日々から現実逃避すべく、一人で関西方面大回りを演じている。せっかくなので旅行記を書いてみる。

一日目はこちら

sudame.hatenablog.com

倉敷 → 下関

この日は基本的に移動日。二日目の目的地である博多を目指してひたすら西へ下っていくという単純作業である。まずは山陽本線の終着駅である下関を目指す。

朝5:51倉敷発の始発の山陽本線に乗り込む。またしても真っ黄色の115系。いい加減飽きてきた。尻は飽きずに嬉しがっている。

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倉敷駅:例の黄色いヤツ

糸崎駅で乗り換え。またどうせ115系なのだろうと思っていたら違う車両だった。やたらと新しい車両だなと思って調べてみると、2015年から導入されている225系という車両であるとのこと。最近、広島周辺のJR路線網は「広島シティネットワーク」と名付けられてブランディングされているらしい。確かに車両と言い駅といい案内図といいスマートである。225系は初めて乗る車両だったので乗った直後は若干嬉しかったが、中身は都内によくある近郊型車両と何も変わらないのですぐに飽きる。運良く座れたので概ね寝て過ごす。

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糸崎駅:ちょっとかっこいい225系

西条駅でまた乗り換え。広島は比較的人口が多く、運行距離が短い列車で構成された都市圏ダイヤが組まれているため乗り換えが多くなる。西条駅では15分ほど時間があったので駅に付設されているパン屋で朝食のパンを買う。思ったよりも皮が硬いタイプのパンで、時間が無いと慌てて口に入れたら喉に突き刺さった。この文章を書いているのは三日目の18時であるが未だに喉の切り傷が痛い。この旅行最大の失敗となる。

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三原:瀬戸内海の朝の景色、気持ちが良い

9:44に岩国駅で最後の乗り換え。時間的にも通勤時間を過ぎ、車内はガラガラになる。外の景色も徐々にローカル度を増して良い具合である。新山口駅で長時間停車するというので改札外に散歩をしに行く。駅前には何も無かったが駅舎がかなり綺麗だったのでいろいろ歩いてみる。一緒に改札を通過したお姉さんは下車後すぐに観光案内所に直行して所員から話を聞いていた。なるほど乗り継ぎの微妙な時間は観光案内所に行くという手もあるのかと感心する。

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新山口駅:線路がたくさんあるの好き人間

下関

13時半ごろに下関駅に到着する。まず昼食を調達する。事前に調べたところ駅前の商業施設のフードコートに地元の魚問屋が店を出しているとのことだったので、下車後一目散に向かう。「当店イチオシ!」な海鮮丼を選ぶ。フードコートは地雷ではないか、きちんと街に繰り出たほうが美味い飯が食えたんじゃないか、と心配になりながら丼が届くのを待つ。丼が出てくる。普通に美味くて拍子抜けした。どう考えても下関や門司のものではないだろ、と思うような食材も乗っているが、まぁ美味ければなんでも良い。観光客を喜ばせる作戦なのかもしれないが、一緒に出てきた醤油が甘めの醤油なのも「西国に来たぞ!」感があって良かった。

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下関:昼食の海鮮丼

せっかく下関に来たのだから、関門海峡を眺めたい。駅前のマップを見ると下関港の国際ターミナルが目に入る。ここから韓国の釜山や台湾に高速船が出ているらしい。国際ターミナルと言うからには立派な景色が見えるだろうと向かってみる。しかし船も無ければ景色も見えない。まぁ港ってそういう淡白なところがあるよね、そういうところも好きだよ、と謎の感想を抱きつつ退散する。

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下関:バッチリ閉鎖されている下関港国際ターミナル

関門海峡をろくに眺められなかったのは残念であるが、気を取り直して街の散歩に出る。歩いてみるといろんな方角に海があり、自分がどの方角を向いて歩いているのか分からなくなる。高杉晋作奇兵隊を結成した地があるというので見に行く。銀行の横にちんまりと碑が立っていた。駅前のマップにもデカデカと紹介されていた割にはこれか、と少々落胆する。まぁ史跡ってそういう淡白なところがあるよね、そういうところも好きだよ、と謎の感想を抱きつつ退散する。

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下関:予想よりも(いや正直少し予想していたが)小さい奇兵隊結成の地

下関 → 小倉

生まれて始めて関門海峡を通過するので、とてもワクワクしながら列車に乗り込む。車両は国鉄415系JR九州といえば車両が小綺麗なイメージがあるが、関門海峡線は国鉄車両を使い続けている。電車を動かすために使う電気はJR九州は交流、JR西日本は直流である。JR九州JR西日本にまたがって運行する関門海峡線は交直両用車を用いる必要がある。JR九州保有している交直両用車は国鉄415系のみなので、いかにJR九州が車両を小綺麗にしようと、ここはオンボロの国鉄車両を使い続けるしかないのである。

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下関駅:オンボロ国鉄415系

楽しみにしていた関門海峡通過であるが、トンネルで外の様子が分からないこともあり、ワンダフルに味気なかった。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋を渡るのがあれほど楽しいのに比べると何とも地味極まりない。門司駅に着き、駅名標JR九州仕様になっているのを発見してやっと九州に上陸した実感が湧いた。ほどなくして小倉駅に到着。

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小倉駅JR九州駅名標は独特

小倉 → 博多

小倉から博多までは鹿児島本線の快速に乗る。先にも書いたが、JR九州の列車は小綺麗である。パッと見で特急列車かな?と思うような車両が普通に鈍行で使われている。内装も凝っていて、吊り革を垂らすバーの形がオシャレだったり、鈍行列車なのにゴミ箱や小物置きが設置されていたりする。車景に九州らしいものが無いかとしばらく外を眺めていたが、特に何も発見できないので諦めて寝る。

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小倉駅:小綺麗なJR九州の車両

博多

長時間の移動で疲れ切ったので遠くまで散策に行くのは断念する。多少遠回りをしつつホテルに向かい少し休憩。福岡出身の友人に博多駅近くのラーメン屋でおすすめを教えてほしいとLINEを飛ばしたところ、「最初はGoogle検索で上位に出てくる店に行けばどこ行っても間違い無いよ」とのことなので、とりあえず博多駅ビルの「博多めん街道」に行ってみることにする。

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博多駅:デカい

疲れたしビールを飲んでおきたいと思い、手前の居酒屋で一杯だけ引っ掛ける。博多名物の鶏皮を食べる。ビールを全身に染み渡らせたところでラーメン屋 Shin-Shin に入る。博多ラーメンの麺の固さは「カタ」「バリカタ」のどちらかを選ぶのがベーシックらしいが、僕は初めての博多ラーメンなので「普通」で注文。普通でも十分歯ごたえのある固さで、これなら僕は普通くらいでちょうど良いと思った。

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博多:博多ラーメンには疲労回復効果がある

博多自体は東京名古屋大阪とあまり変わらないただの大都市だと分かったので、あまり深く考えずにホテルに戻る。途中のセブンイレブンで水を購入。レジで店員に「いつもありがとうございます」と耳打ちされる。博多には政府に用意された僕のクローンでもいるのだろうか。

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博多:僕のクローンが足繁く通うセブンイレブン

ホテルではコインランドリーに洗濯物をブチ込みつつ、博多駅で追加購入した本を読む。コインランドリーの仕上がりと同時に就寝。

読んだ本

移動が長かったので2冊読めた。

ジョージ・ソーンダース(訳:岸本佐知子)「短くて恐ろしいフィルの時代」

www.books.or.jp

Twitterで誰かが「今読むべき」と言っていたので読んでみた。誰が言っていたんだっけな、と思ってTwitterをひっくり返してみると岸本佐知子本人だった。SNSみを感じる。不思議な世界の国の存亡をめぐる中編。たしかに今にドンピシャな内容だと思った。

辻泉など「メディア社会論」

www.books.or.jp

メディアと社会の関わりについて解説した入門教科書。この分野の教材は一瞬で古くなっていくが、これは2018年出版なのでギリギリ許容範囲と思う。「ネット広告の功罪」のあたりが面白かった。ところで今回のウクライナ戦争ではSNSを通したプロパガンダが東西両陣営で公然と行われている。SNS型のプロパガンダは今までのマスメディア型のプロパガンダと違う手法で行われ、効果や機能も異なるのは自明であろう。このあたりの本が出たら読んでみたいと思う。