23歳の1年間と24歳の1年間

本日、9月23日は僕の誕生日である。せっかくなので、23歳として生きてきた2020年9月23日から今日までの1年間を振り返る。

23歳の1年間

大学を卒業

一年の浪人生活を経て2017年に入学した筑波大学情報科学類を、2021年3月に無事4年間で卒業した。1年生のころは広く浅かった人間関係も徐々に狭く深くなり、結局卒業時に「コイツは仲の良い友達だ」と言える人は両手に収まる程度になった。プライベートでの人間関係がそれほど得意ではない僕にとっては上出来の大学生活だったと言えると思う。

卒業論文を執筆

筑波大学情報科学類を卒業するためには卒業論文を執筆し、発表会の場で研究プレゼンを行わなければならない。僕は「アバタを介したコミュニケーションにおける表情模倣の影響評価」というタイトルで論文を書いた。正直、出来の良い論文ではないのは目に見えているし、実際評価も上から2番目の「A」に留まったが、初めて論文を書くという経験ができて新鮮だった。いつも締め切り直前に大慌てになる僕にしては珍しく、余裕を持って書き終えることができたのも成長ポイントだと思う。

大学院入学

筑波大学情報科学類の直上の組織にあたる、筑波大学情報理工学位プログラムに進学した。学部入学時の浪人の苦々しい経験は学部生の4年間ですっかり薄れたと思っていたが、大学院入試に向けて勉強していると嫌でも当時を思い出してしまい、かなり精神ゲージを削られた。しかしそれでも無事に合格を勝ち取ることができ、現在は大学院生活を謳歌できている。ありがたいことである。一緒に勉強していた友人が推薦で不合格になってしまい、僕もとても心を痛めたが、彼も僕と同じ一般入試で無事に合格し、今では毎日のように研究の進捗を話している。入学試験はいつでもドラマチックだと思わされた。

国際学会デビュー

卒業論文を英語化した上で再解析等の手直しをし、体裁をまとめて Artificial Life という国際学会に提出したところ、極めてギリギリの評価ながらアクセプトされた。当然落ちるものと思っていたので、心底驚いた記憶がある。オンラインとは言え、一般書の著書を持つような研究者に向かって自分の研究を英語で発表するのはとても緊張した。質問の英語を聞き取れずに指導教員から助け舟をもらうという失態を犯ししばらく意気消沈していたが、今になって考えると、きちんとコメントも貰えたし、指導教員の研究仲間からの評価も良かったようだし、それほど悪い結果ではなかったのではないかと思う。ところで、Artificial Life の2021年学会はコロナが無ければチェコプラハで開催予定だった。プラハ、行きたかったな……。

アルバイトでちょっと偉くなる

大学1年生の末から続けている小学生向けのプログラミング教育バイトで、勤続年数が物を言い、いわゆるバイトリーダー的な役職に抜擢された。時給が低かったり意思決定が不透明だったりと不満も多いものの、好きな仕事で評価されるというのは純粋に嬉しい。それまでは生徒を観察することが多かったが、この役職に就いてからは他のアルバイトを観察する時間が増えた。それなりに責任を負う場面も増えて大変さもあるが、今のところ楽しめているので御の字である。

Twitterアカウントを捨てる

大学に入学してから卒業するまで、僕は2つのTwitterアカウントを運用していた。1つは本名でやっているアカウント、もう1つはハンドルネームでやっている砕けたアカウントである。普段は後者を使っていた。僕はかなりTwitterが好きで、相当の頻度でツイートをし、時々バズを見せつつ1500人弱のフォロワーを抱えていた。元から治安が良いとは言い難いTwitterというプラットフォームだが、最近は目に余る投稿が増えてきた。Twitterを見ていて面白いなと思う機会よりも、気分が悪くなる機会の方が圧倒的に多くなった。たかがSNSに気分を害されるのは不健全だと思い、半ば中毒のように使い倒していたアカウントを削除した。Twitterだけで繋がっていた大学の知人などとは連絡が取れなくなってしまったが、人間関係は一期一会だから、まぁ仕方ないと思うことにしている。

会社を潰す

僕は友人と会社を持っていたが、その会社を潰した。僕は以前から友人たちとチームを組んでアプリやサービスの開発を行っており、あるときそのメンバーの一人がチームを法人化したいと言い出して立ち上がった会社だった。僕は当時から法人化に反対の立場だったので、会社という形が無くなっても特に寂しさなどは感じなかった。法人というのは、立ち上げるよりも潰す方が面倒なものらしい。立ち上げの方が気分が良いというのはあるのだろうが、実際の事務手続き上も、会社を畳むときのほうが煩雑だったと思う。ちなみにこれは純粋な愚痴であるが、会社としての本社があるつくば市に最も高頻度で滞在しているのがメンバーの中で僕だったので、役所に行ったり郵便物を受け取ったりする実務はかなり僕が行った。法人化に反対していた僕が法人を畳むために駆けずり回るというのは皮肉なものだなぁ、と思った。

ISUCONに出る

ISUCONとは、LINE社が主催する「いい感じにスピードアップするコンテスト」である。中途半端な状態のwebサービスを渡され、それを要件に合うようにスピードアップ、チューニングするというコンテストだ。先に書いた、会社を潰した例のチームで参戦した。チーム名は「haigyo」、廃業である。我ながら良いセンスだと思う。普段は高レイヤのコードばかり書いているので、webの中では比較的レイヤの低い部分を触れたのが楽しかった。狙った作戦が上手くハマらず予選敗退となってしまったが、良い勉強の機会になったので来年もぜひ出場したいと思った。

24歳の1年間

就職先がほぼ決まる

2022年の4月からは大学院修士課程の最終学年となる。今のところ博士課程にストレートで進学する気は無いので、2023年3月に大学院を卒業した後は就職ということになるだろう。ということは、24歳の夏ごろまでには就職先がほぼ確定しているはずである。話が進行中なので社名は伏せるが、ありがたいことに、これまでインターンに行った企業など、すでにそれなりの手応えがある企業がある。自分が行きたい企業に行くことが大前提ではあるが、実利的には、なるべく早い段階で就職先を確保したいと思っている。就職活動よりも有意義な時間の使い方はいくらでもあるはずである。

論文を最低一本は通す

大学院生として生活している以上、論文を出さなければならない。論文を出さないと自分自身のモチベーションを維持できないというのに加えて、良くしてくださっている指導教員や研究室にも申し訳ないというのもある。現在進行中の研究プロジェクトは、まだすぐに論文を書ける状態ではないというのがもどかしいところではあるが、少なくとも24歳の夏ごろには何かしらを成果として出したいと思う。

一人旅をする

僕は一人旅が好きで、長期休みになると青春18きっぷを手に適当な場所にぶらぶら行っていたものだが、コロナの影響で23歳の間は結局どこにも行かなかった。今後コロナが落ち着く保証はどこにも無いものの、今日までの1年間よりは状況はマシになると信じたい。コロナ禍は孤独だと思っていたが、オンラインで一瞬で人に会えてしまうため、逆に一人きりになるタイミングが激減した。一人旅をすれば、強制的に自分だけの時間を作り出すことができる。絶対的に自分しかいない事由な時間を捻出するためにも、24歳の1年間のどこかでかならず一人旅をしたい。ちなみに次は山陰に行きたいと思っている。